80年代後半90年代くらいまでは、地上波のテレビ番組で主に子供向けのテレビゲーム番組が放送していました。
バブル景気という日本が最も勢いのあった時代にファミコン、スーパーファミコンブームがちょうど重なっています。
これらの全国区のゲーム番組を放送していたのはいずれもテレビ東京で放送時間は日曜の夕方が中心でした。
ファミっ子大作戦
1986年4月6日~1988年3月25日
初代の青山孝史が司会の頃の映像を探しましたが、2代目の志賀正浩時代の映像しか見つかりませんでした。
しかも、すでに番組名がファミっ子大集合になってるし!(この動画も削除されました。)
アシスタントにスクールメイツがいるのがいかにも80年代っぽいですね。
名人乱発
ハドソンの広報担当だった高橋名人が大人気になった事から、各ソフトメーカーが名人(広報担当)を次々に誕生させました。
特に番組で印象に残っているのが赤い伊達メガネが特徴の橋本名人です。
バンダイの広報なのにライバルメーカーであるスクウェア・エニックス(当時はエニックス)のドラクエ2の攻略法も紹介しちゃっています。
今やスクウェア・エニックス・ホールディングス専務なんだから不思議な縁を感じます。
ファミっ子大集合
1988年4月4日から1991年3月25日
ファミっ子大作戦の後番組で内容はほぼ同じ。
バブル景気ド真ん中とは思えないほど安い作りのセットはさすがテレ東って感じです。
長江健次のやる気のなさそうな司会ぶりが印象深いです。
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Theゲームパワー
1991年4月2日から1994年3月29日
司会が江戸家小猫に交代してリニューアルしました。
ところでパートナーの須田みなみって誰?この番組以外で観た事も名前も聞いた事もないけど・・・
この時代からファミコンからスーパーファミコンに主流が移り変わってきました。
ゲーム王国
1994年4月5日 – 1995年9月26日
放送が94年からスタートなので、セガサターンが発売された年でもあり、もう全然ファミコンの時代じゃないけど続いていたテレ東のゲーム番組。
司会の江戸家小猫とライオネス飛鳥という組み合わせが謎過ぎる・・・
関西ローカルで放送していた『ゲーム王(キング)』とは関係ないそうです。
ゲームEX
1999年10月7日~2003年9月27日
21世紀になっても続いていたゲーム番組。
小猫師匠は、なんと10年半にも渡って司会を続けてくれました。
途中で司会が林家たい平に交代しました。
この茶髪の若者が後に笑点のレギュラーになるとは。
レギュラーに加わった小出由華ってフジテレビの子供向け番組ウゴウゴルーガで人気だったルーガちゃんじゃないですか!
GAME JOCKEY
2003年10月6日 – 2005年6月27日
深夜枠に移ったので大人向けの落ち着いたゲーム番組になりました。
ハードはPS2が中心になっています。
司会は林家たい平と宇恵さやか。
スーパーマリオクラブ
1990年10月4日~1993年9月30日
木曜日の夕方という中途半端な時間に放送していたスーパーファミコン時代のゲーム番組。
こちらはスポンサーが任天堂だったので任天堂ハードのゲームしか取り扱っていません。
同じテレビ東京系列ですが、これまでの番組とは制作会社が異なります。
司会が渡辺徹と本田理沙でスタートして、のちに加藤紀子に交代しました。
スーパーマリオスタジアム
1993年10月7日 – 1996年6月
司会の2人も替わってないし、いまいち何がリニューアルしたのか分からないゲーム番組。
後に任天堂からゲームキューブ用の同名のソフトが発売されてややこしい事になります。
64マリオスタジアム
1996年7月4日 – 2000年9月
任天堂のハードが64に移ったためリニューアルした番組。
司会の加藤紀子が抜けた後釜は一宮里絵と須藤温子が引き継ぎました。
マリオスクール
アシスタントは当時人気だったこずえ鈴が担当。
ゲームブームが終了してほとんどポケモン頼みになってきました。
1年で番組が終了した事でテレビ東京のゲーム番組は終了となりました。
まとめ
現在では価値観も多様化してひとつのゲームハードやソフトがムーブメントになって地上波でテレビ番組が成立するというのは、ちょっとありえませんが、かつて昔はそれが成立するほどのゲームブームがありました。
こうやって振り返ってみても初期のファミコン、スーパーファミコンの時代が一番勢いがあって徐々にゲームブームが終息していく流れが分かります。
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